言葉の重み(前編)
煩悩が煩悩を呼び頭がパンパンになったとき、ぼくはよく近所の銭湯に足を運びます。ただ、先日はその銭湯で、心まであったかくなるようなちょっと素敵な出会いがあったので、それを今日は書きます。
****************
ぼくは、いつものように片手に着替えとタオルが入ったバッグ、もう片方の手に入浴料と風呂上がりの炭酸ジュースが買えるだけの小銭を握りしめ徒歩で銭湯に向かった。午前中だったからか人はまばらでいつもよりゆったり好きな浴槽に入ることができた。
しばらくして熱さに耐えきれなくなり、内風呂から露天のぬるめの浴槽に移った。すると、その露天風呂にはすでに常連客と思しき二人の先客がいた。どちらも「おじいさん」と呼んでも差し支えなさそうな年齢に達しているように見えたが、そのふたりは(他人同士であることは間違いないが)明らかに普通の兄弟以上の年齢差があるように思えた。ぼくはその老人たちから二三歩離れた場所にポツンと腰掛けるように湯船に浸かった。すると、お二方の話し声が聞こえてきた。
「原爆が落とされてもう70年も・・・」「(日本の)1000兆円なんて借金返せるわけがない・・・」「戦後はほんまに食い物が・・・」
日本の歴史や政治関連の話をされていた。そのテの話に興味が沸き立ってしまうぼくは、極力脳内で周りの音をかき消し、老人たちの会話に耳をそばだてた。そして、あわよくばお二方の会話に入りたいと思ったぼくは会話の小休止があると老人たちの顔を眺め、視線が合わないかチャレンジしていた。
「おい、そこの若いの、・・・」と言われるのを期待していたが、一向に声をかけてもらえなければ目も合わせてくれなかった。自分から話しかけるしかもう打つ手はない。そう感じつつも、ぼくにとっては多少の勇気が必要だった。
ただ、そのとき少し考えた。昨年祖父が亡くなり、もうひとりの祖父は距離的にそう簡単には会えない。戦争、そして戦後の混迷の時代から高度経済成長など輝きを放っていた日本を知る人は、確実に少なくなってきている。こんな人に出会える機会そうそうないんじゃないか。そして、編集方針に従って人為的かつ意図的に集められたような新聞や論壇誌の年配の方々の体験談より、目の前にいる普通のおじいさんの”生”の声をぼくは欲していた。そんなことを考えていたら、ぼくは思わず口走っていた。
「あのう、政治の話されてるんですか」
ぼくのこの言葉はあまりに唐突だったし、最初の一声としてもふさわしくなかったかもしれない。しかし、その老人たちは「これって政治の話なんやろか」と二人で顔を見合わせながらも、ぼくが続けて「日本の政治や歴史に興味があるんです。よかったらお話聞かせてください」と伝えると快く受け入れてくれた。(続)
****************
0コメント