二度目の宝塚歌劇

先日、宝塚歌劇月組公演『グランドホテル/カルーセル輪舞曲』を見てきた。自分にとって四年ぶり二度目の宝塚鑑賞であったのだけれど、今回の方が随分感動した。


 男役トップスター(宝塚歌劇だからもちろん女性)は、もはや男でも女でもない別種の性を確立していた。そして、舞台袖の目立たないところで踊っている成長過程の新人とみえる役者が、眼と表情、発声、両手足、自分が持ち得るすべての表現手段を動員し、まるで自分が主役かのように演じる様子は、例えスポットライトが当たらなくとも寸分の手抜きを許さない覚悟と気迫を感じ、社会の隅で生ぬるい生活を送っているぼくの心を強く打った。 


ところで、今回の公演で目についてしまったのが、前の座席で団体客として観劇に来ていた小学校3、4年生と思しき子どもたちの落ち着きのなさである。公演途中でトイレにでも行くのか席を外したり、退屈そうに身をよじらせたり、友達のオペラグラスを奪いとろうとしたり。

 といっても、ぼくはここで小学生のマナーの悪さを糾弾したいわけでは全くない。 


自分自身、小学生のころ学校行事として、ある舞台を見にいった記憶があるけど、今では何の演目だったのかは覚えていないし、舞台よりも脇に掲げられた時計を気にしていた気がするからだ。だから、ぼくは彼ら小学生を生意気に説教できるほどの人間ではないし、何より自分がかつてそうだったから目の前の小学生らの気持ちが分からなくもない。そして、この観劇体験が彼ら小学生の脳裏になんらかの爪痕として残され、今すぐでなくとも後になって何かが花開くのではないかと信じていたから、自分なりに彼らを温かい目で見守っていたつもりである。 


むしろ、ぼくが、小学生らが退屈そうにする様子を見て疑問に思ったのは、どうして年齢が若いほど(一般には、子どもほど感受性が高いと言われているにも関わらず)この種の体験に感銘を受けにくいのかである。 


というか感受性について言えば、小学生のころは人前で話すことが平気だったのに、段々と歳を重ねるにつれ、それに恥じらいや緊張が伴ってくるのは、たぶん他者の視線を過敏に”感じる”ようになったから。その点では、大人になるほど感受性が高まると言えてしまう気がする(逆に、幼いころ人前で緊張しなかった理由は、他者の視線に”鈍感”だったからとも言える。

 また、大人になると空気を読むことを覚えるのも、大人の感受性の高さを示す証左になりそう。)


大人の方が感受性豊かなのかな、難しい。脳の構造とか、子どもの教育に詳しい人とかに意見を聞いてみたいね。

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