みんながみんなグローバル人材にならなくてはいけないのか
「グローバル人材の必要性」をマスコミが喧伝し、それに尻を叩かれるような形で各大学が「国際なんちゃら学部」を乱立させるという動きが少し前まで盛んに行われていたように感じる。しかし、日頃ニュースに関心のある方ならご存知の通り、グローバル経済の基軸であるEUやTPPからの各国首脳級人物による離脱宣言、移民抑制を狙う極右政党の世界的台頭など、時代の風向きは着々と内向きへ変わってきている。また、日本国内だけを見ていても、いよいよ首都圏の過密でストレスフルな生活から逃れる手段として、田舎の魅力を再発見・後世に遺そうとする地方創生の取組みとして、訪日外国人観光客にもっとディープで昔ながらの日本を楽しんでもらう試みとして、グローバル経済に一番近いと思われる東京から地方へ回帰する動きがある。これらのニュースだけを鑑みたらとてもじゃないが、「若者よ、みんなグローバル人材になろう」みたいなことはまともな大学であれば、今では恥ずかしくて言えないはずである。
ただ、自分はグローバル人材の必要性を全否定しているわけではない。むしろ、今の混迷した世界状況を安定化させるためには、これまで以上に高度なグローバル人材が必要になると思う。つまり、量ではなく質の問題だ。偏差値70台から30台まで首都圏から地方までのあらゆる大学で「国際なんちゃら学部」を作る必要がないと思うだけだ。
また、グローバル人材は言語の問題だけでなく、価値観や生活習慣などの文化の違いを受け入れる(寛容する)こと、平たく言えば多様性のある社会でも生き抜く能力が必要だとよく言われる。しかし、これはもはやグローバル人材だけに必要な能力とは言えない。人種的な多様性に乏しいといわれる日本社会であるが、多様性がないわけではないのだから。同じ肌の色で同じ日本語を話し同じ日本という文化圏で暮らしていても、考え方や話し方、普段の生活、仕事や人生に対する価値観は人によってまちまちだ。つまり、日本人ばかりの日本社会にも、立派な多様性が存在している。 日本だけでビジネスを行っている企業でも、相手の価値観を尊重できず自らの価値判断を相手に押し付けようとする前近代的な企業は、今後さらに人材不足が顕著に現れるであろう日本社会では容赦なく淘汰されていくに違いないとぼくは思っているし、そうなってしかるべきだとも考えている。
つまるところ、グローバル人材再考の時期に来ていると勝手に思っています。グローバル人材の第2フェーズ。
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