感じることと、考えること
*感じるままに生きてきた子供時代
子供のころ、サッカーの新聞記事の切り抜きをよくしていました。もっとも、今振り返れば「記事」というより、ゴールを決めるシュートの瞬間を捉えた写真がメインでした。紙面の四分の一を占めるぐらいの大きなカラー写真に、キャプションレベルのささやかな文章が添えられている程度の記事です。他にも、少年時代唯一目を通していた雑誌”サッカーダイジェスト”で眺めていたのは、上記のように写真がメインのページだけでした。その頃は、インタビュー記事や試合の詳細な分析などの長い文章を読むのが退屈だったんだと思います。
ただ、それ以上に思うことは、視覚を通して純粋に”感じる”ことに、少年時代は飢えていたんだと思います。少なくとも現在の自分以上に、自分の感覚を前面にして、世界に触れていたと思います。
だから小さい頃は、毎日が発見だらけだったんです。友達と雑木林に潜り込んで自家製の秘密基地を作ったときには、木や土の匂い、肌触り、枝はどれくらいの力を入れたら折れるのかとか、そういう知恵を全て”感覚”で学びました。同じ緑色でも、緑の種類がこんなにも多くあることを知ったのもその場所でした。
*考えがちな今の自分
一方で、大人になった今のぼくは感じることよりも、あれこれ考え込んでしまうきらいがあります。世界をありのままに感じることを怠っているんじゃないかって反省しているんです。例えば、美術館へ行けば作品より先に、作品脇のタイトルや説明書きにまず目を通してしまうんです。答えを一刻も早く知ろうとしてしまうんです。でも、そんな風にしていると、こんなことが起こります。仮にですが、一面真っ青な絵画があり、それに『海』というタイトルが名付けられているのを「先に」目にしてしまったら、途端に海以外の何者にも見えなくなってしまうんです。本当は、空に見えたのかもしれないのに。。
言葉や文章による、論理的な構成や理屈も、もちろん大好きです。ただ、”まず”は自分の感じるままに、自分だけの答えを見つける方が豊かなんじゃないかって最近は思います。
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