『グレイテスト・ショーマン』評 過去の切断
鑑賞後に感じた、物足りなさの原因は、歌パートで一気に物語を前進させられる感と、歌パートと歌パート間のぶつ切り感があるからか…
過程(ストーリー)のおざなりというか、奥行きがないというか、子供騙しな成功譚という感じが否めない。ただ、この映画の単純明快さを、監督は自覚した上で作ったに違いないから、“ストーリーがシンプルすぎる”などと不用意に糾弾しすぎるのは却って自らの頭のシンプルさを露呈してしまうことになる。
では、意図的なストーリーの置きざりの背後にあったのは何だったか。一つ言えるのは、コンプレックスの転換だろう。この映画の登場人物で、コンプレックスを抱えていない人はたぶんいなかったのでは。自分の貧しい出自や醜い容姿など。それを自分の中だけで閉じ込めておくと、複雑性はさらに増し、負のスパイラルに追いやられる。
過去の延長線上に未来があるのは当然だから、これからの自分は、これまでの自分に規定されがち。ただ、そうではなく、この映画の登場人物たちは見事に、 過去の自分(コンプレックス)と決別した。未規定の自分に出会うこと。背後霊のようにつきまとうコンプレックス、その切断の機能を果たしたのが、音楽だった。この映画の、(大小かかわらず)before・afterの節点には、必ず音楽があった。
このように、過去の切断により新しい自分と出会うんだよと、この映画が伝えたかったのだとすれば、過程(ストーリー)よりも、あくまで切断(=歌)による変身を大事にするのは、個人的には合点がいくのである。そして、コンプレックス(奇をてらうような複雑で難解)なストーリーにする必要性がないことも、同時に納得がいく。
あなたの人生は、他人が考えている以上に簡単ではないが、あなた自身で考えている以上に複雑でもない、そんな温かいメッセージも込められている。
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