いくつになっても若気の至り
「若気の至り」
ぼくにとって恐ろしい言葉。
中高時代は、基本的に前髪が暖簾(のれん)のようになっていたし、大学1,2年の頃はおしゃれ度で人の優越が決まると半分本気で考えていたぐらい偏狭な考え方を持っていました。
ただ、ファッションだけに狂い上がり他のことについて何ら知識や教養がない自分。
授業しかないのにセットアップで全身キメキメな一方で、
家の中ではよれよれのTシャツで生活感溢れる乱雑な部屋で生活している自分。
そんな外面だけ取り繕い中身が空っぽな自分を、無性にださいと感じるようになりました。
そのときと比べたら、ぼくは変わったと思います。
今でもジャケパンスタイルはするし好きだけど、会う人や場所を考えるようになったし、
何より昔みたいに「ほらおしゃれでしょ」みたいな自分を誇示するような性格の悪い着こなしや雰囲気は(たぶん?)無くなりました。そして、相変わらず部屋は散らかりやすいけど、不要なものは減り、為になるものが増えました(お金の使い方が変わりました。。。例えば、毎日使用するもの:筆記具や本や雑誌、美術館や美味しいごはんに。)
そして、幸いなことに母校には大変ためになる授業があって、そのおかげで筋道の通った思考を多少は会得できたかなと思えたり、本や人との出会いの中で、多様な意見を受容できる余裕が少しずつだけど生まれ、政治や経済、デザイン、アート、文学、建築等々にも関心が広がりました。
最初の方で昔の自分が、悪い意味でどれだけヤバかったかを書きましたが、
でも、それはイコール「今の自分はヤバいほど成長したんだ」ということです。というかそう思うようにしています。60歳になっても、50代を振り返ったとき、「若気の至り」だったと言える状況でありたい。「若気の至り」は誰にとっても恐ろしい言葉かもしれないけど、昔を振り返ったとき何も変わっていないことに気づく方がたぶん怖いと思うからです。
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